論 文 
 

<巻頭言>
 日本の金型、プレス・プラスチック成形産業は、世界的に優秀な技術を誇る。この産業はサポーティングインダストリーとして、日本の輸出型産業を支え続けてきた。だが現在、これらの産業はかつて経験したことのない厳しい場面を迎えている。
 日本は戦後、着々と技術力を蓄え欧州・米国と互角に競争した結果、少なくとも80年代までは全ての大量製品分野を制覇し尽くしてきた。ところがこの「ものづくり」大国の地位が、下降線をたどり始めている。品質・コスト・納期と三拍子揃っていた製品の強みが薄れ、いつの間にかアメリカやヨーロッパが復権を果たしてきた。
 さらにアジアが急速に実力をつけ始め、世界のビックビジネスは生産基地を日本からアジアにシフトしている。我が国の大企業も同じように生産のフィールドを今まで以上に移し始めている。フィールドを提供する側は、国をあげてインフラを整え、様々な恩典を提示しており、その努力と意気込みには目を見張るものがある。
 高い技術を持っていれば安心であるという思惑ははずれ、仕事量が減少していく。そんな中小企業の経営を脅かすような現象が今後も予想される。先進企業でさえ生き残りのために、真剣に打つ手考えなければならない時期が来ている。だが、これは日本の優秀な中小企業が飛躍し、規模が小さくてもグローバルビジネスができるチャンスでもある。
 このケース・スタディは、インタビュアーの弘中氏が2回(2001年5月14日、2001年7月23日)にわたる伊藤製作所への訪問と、電子メールの交換を基に作成したものである。作成にあたってはアジアに詳しいジャーナリスト松田健氏の助言も得ている。
 伊藤製作所の事例は、厳しい環境下にある中小企業に大きな勇気を与えてくれるであろう。

(有)アイ・ディー・オーデジタル出版 代表取締役 井戸 潔


インタビュー  :株式会社 伊藤製作所 代表取締役 伊藤澄夫氏  
インタビュアー :滋賀大学経済学部 助教授 弘中 史子

【株式会社 伊藤製作所】
・ 創業 1945年12月
・ 資本金 5000万円
・ 代表者  代表取締役 伊藤澄夫
・ 従業員数  48名
・ 所在地  〒512-8061 三重県四日市市広永町101番地
・ 生産品目  順送り金型、プレス部品加工、ダイセット製作
・ E-Mail sito@itoseisakusho.co.jp

【弘中 史子(HIRONAKA,Chikako)】
・所属   滋賀大学経済学部
・専門分野  中小企業経論/技術開発論
・最近の研究 「中小製造業における技術開発力の向上−技術の体系化と複眼 的技術者を軸として−」『商工金融』第50巻第5号 2000年5月
「中小企業における工場の情報化と技能」『オフィス・オートメーション』
 Vol.21, No.3,2001.
・ E-Mail chikako@ka2.so-net.ne.jp


 

 目        次 
はじめに  
1 海外進出の背景 5 経営者の英語習得
2 フィリピンを選択した理由 6 日本本社の従業員育成
3 フィリピンでの成功理由  6-1 従業員の能力向上

 3-1 人材面

 6-2 複眼的技術者の育成

 3-2 受注面

7 日本本社の経営戦略

 3-3 設備面

 7-1「挑戦する」社風

 3-4 パートナーとの信頼関係

 7-2 顧客との関係

 3-5 現地従業員の高い定着率

 7-3 政府と企業の関係
4 現地従業員の人事マネジメント 8 経営のグローバル化に向けて

 4-1 採用
 4-2 日本本社での研修

 8-1 今後のグローバル化の
   ビジョン

 4-3 現地従業員とのコミュニ
 ケーション

 8-2 海外情報の収集
 8-3 語学力について

 4-4 現地従業員の待遇

 

 4-5 幹部の育成

 

 



2001年8月

【はじめに】
 伊藤製作所のケースから、中小企業経営に関わる者は次の三点を学ぶことができる。

1)小規模企業でも、情報収集力をつけることでグローバル化が可能であること
2)小さな挑戦を積み重ねることによって技術力を高められること
3)従業員の少ない中小企業だからこそ、彼等の能力を最大限に生かす必要があること

 同社は現在、高い競争力を持つにいたった。しかしケースにあるようにそれは社長をはじめ全従業員の地道な努力の賜である。
 他の中小企業がここから学び応用できる点は多い。そしてどのような会社でも地道な努力を積み重ねれば、同社のような競争優位を得ることは夢ではない。日本の生命線である「ものづくり」の将来は、そうした中小企業に支えられるのである。

1 海外進出の背景

 同社では、CAD/CAMによる自動設計、NC工作機の早期導入、プレス加工の精密化、高速化などを重点戦術として継続的に経営の高度化を進めてきた。今後もそれを継続していくことで、ある程度の利益を獲得し続けることができるかもしれないが、受注量と受注価格は毎年確実に減少・低下している。
 1985年以来、製造業ではコスト削減や現地市場を狙った海外進出が続いている。また日本では法人税が非常に高いが、アジア諸国には輸出加工区があり、5〜8年間にわたって税金の減免措置があることが大きな魅力となっている。

 独自の技術、他社が模倣できないオンリーワンの技術がある会社は日本で生き残れる。しかしICのリードフレーム、精密コネクターなどかなり難しい技術を持つ企業まで、今年に入って相次ぎ海外生産を具体化している。
 昨今では見積りのたびに、海外の価格と競争しなければならなくなっているが、納期が早い(例えば他社の半分の期間で製造できる)」といった技術は生き残れるだろうか? リードタイムが短く最新の設備を保有していても、仕事がなければ宝の持ち腐れである。高度な設備、設計能力、加工ノーハウ等、総合力で日本の人件費がアジア各国の5倍程度であれば多くの日本企業は海外に勝てるかもしれない。しかし実際の人件費は20倍前後で、しかも日本の高い物価では全く競争にならない業種が増えている

 日本である程度の技術力がある企業が海外展開すれば、受注の心配は全く無いと言えるほど、日本の生産技術の幅広さは世界で評価されている。海外進出する場合、通常4〜5年は赤字になるので、日本の本社か出資者にそれだけの財務的余裕があるかどうかが重要になる。

目次に戻る

2 フィリピンを選択した理由

 15年前に同社が初めて海外進出を計画した時、多くの大企業と同業者が既に進出しているタイに焦点を当てた。しかし早い時期に外資の誘致に成功したタイでは、土地価格の高騰、プレス工場の区域規制などがあり、タイ進出を断念した。

:BOIと呼ばれる首相が委員長を務めるタイ政府投資委員会では、タイの地方への投資誘致を図るため、国土を3つのゾーンに分け、首都バンコク近郊での税金の減免などの奨励措置を減らし、バンコクから遠くに進出するほど恩典内容を良くした。しかし重要産業である金型製造などでは例外的に第1ゾーン(バンコク近郊)での操業が許可されるが、プレス加工業などでは、数百キロ離れた地域でなければ恩典がなくなった。

 タイ進出を断念した後に、中国系フィリピン人の親友であるマニラのLim氏に同社がフィリピンに進出する考えがあることを説明した。Lim氏は、同窓生で米国の名門大学であるスタンフォードのビジネススクールを卒業しているSy氏を伊藤氏に紹介した。そして伊藤氏が会長、Sy氏を社長、Lim氏を上級副社長、加藤氏が副社長として、1996年12月に合弁会社イトーフォーカス社(以下I.Fと略す)を設立した。

:Lim氏は、彼が同社の隣に立地していた漁網会社に研修に来ていた1973年に伊藤氏と知り合った。その後Lim氏の奥さん、後に誕生した娘さんを含めて家族ぐるみでつきあう仲となっていた。

 90%以上の国民が英語を話すため、現地従業員と直接英語で技術・経営面を指導できるのも魅力である。「私は英語を話せない」と言う人が多いが、日本人の誰もが基礎的な英語を理解している。又、金型ビジネスに従事していれば専門用語はすでに英語で覚えているので、その点も有利である。例えばワイヤーカット、マシニング、デザイン、ドリル、タップ、ジグ、ワーク、ダイ、ストリッパー、ガイドポスト、ベアリングなど英語の専門用語は多い。

:最初に進出を考えたタイでは、英語はほとんど通じない。日本側の経営者がタイ人従業員に直接話しかけることすら遠慮した方が良いとされ、一般に日本語や英語がわかるタイ人マネージャーを通じて従業員に指示する必要があると言われる。

 日本ではフィリピンは治安が悪いと思われている。しかし親族の殺人、通り魔、無差別の小学生殺人など凶悪事件が続発している日本に比べ、フィリピンではこの種の事件は極めて稀である。

目次に戻る

3 フィリピンでの成功理由

3-1人材面

 営業、CAD/CAM、品質管理、N.C加工技術から現場作業まですべてこなせる複眼的技術者の加藤氏(プロフィールは後述する)の果たした役割は大きい。通常ならこれだけの職務をカバーするためには、日本から2〜3名を派遣しなければならない。加藤氏は以前にも海外経験があり英語、タガログ語の上達も早かったため、現地従業員に直接教育することができた。

 フィリピンは中小企業でも優秀な大卒を豊富に採用できるため、難易度の高い金型を製作するI.Fには好条件である。大学進学率が他のアジア諸国よりも5〜6倍高く、勉学意欲が旺盛で大学に進学する彼等は非常に優秀である。

 現地社員80人の一ヶ月の人件費は残業手当を含め、合計140万円程度と日本とは比較にならない人件費の低さである。また後述するように、高い能力を持つ現地従業員を採用し、さらにその能力を伸ばすことができたこともよかった。

目次に戻る

3-2受注面

 フィリピンには世界各国から日系も含め年々多くの大企業が進出してくるが、それに対して生産技術に優れた中小下請企業の進出が少ない。I.Fは日本では取引関係がない富士通テンや松下、トヨタをはじめとした日系大企業、ドイツ系大企業と取引を開始できた。松下のフィリピン法人は現地で金型も製造する大手でも希有の企業であるが、同社の加藤氏がフィリピン駐在以前より、金型製作全般の技術を指導している。最近フィリピンの松下で火災があったが、I.Fは新規の注文を一部断り金型の修理を応援している。

 昨年トヨタのフィリピン法人から視察・調査があった際も、現地従業員が順送金型を設計できることが高く評価され、その後トヨタから直接金型を受注出来た。日本では不可能な話であるが、これは金型企業の少なさのためであろう。

目次に戻る

3-3設備面

 日本の機械を現地に輸出する場合には、オーシャンフレイト+梱包+保険料+輸入税+機械代がかかるため、日本で同価格の機械を導入するよりトータル価格は高くなる(輸出加工区に入れば免税)。しかし人件費が20分の1と安く、現地従業員は昼夜交代などの変則出勤は何の抵抗も無い。そのため受注量があれば3交代で24時間操業でき、設備投資を早期に回収できる。フィリピンでの機械の償却期間は5年と短いため、利益が出る体制が整えば年々償却が進んで競争力が増す。ただし、フィリピンで機械の大がかりな修理やメンテナンスをしようとすると、シンガポールにある機械メーカーの支店に依頼しなければいけないため時間がかかるうえ、修理費も割高となる。そのため主要な工作機械は予備が必要となる場合があり、この点は大きなハンディである。

目次に戻る

3-4パートナーとの信頼関係

 社長と四半世紀以上の親友であるLim氏がパートナーの1人であったため、最初から信頼関係があったが、合弁相手でも金銭に関することは必ず明確にするようにしている。彼等は伊藤氏が忘れていた数ヶ月間の預金の金利まで明らかにするなど、信頼できる相手である。しかしいくら信頼関係があっても、海外では「適当に」「どちらでも良い」「任せる」「君の意見にあわす」「(検討をしないで言う)YES」「程ほどに」などの曖昧な言葉や態度は絶対に避けるべきである。日本では控えめなことや謙虚なことは良いことで、相手の弱点につけこむことは良くないとされるが、海外ではこの常識は通じないのである。プライベートな場での彼等は微塵も駆け引きをしないが、金銭面で控えめな返事や譲歩をすると、「あの人は金銭感覚がない」「交渉能力がない」「簡単にだませる相手だ」と解釈されてしまう。

 パートナーであるSy氏、Lim氏とうまくいっているのも、日本の最先端の金型技術を持ち込んだため、周囲からI.Fはフィリピンでトップクラスの会社だと評価されていることを彼等が誇りに思っているからである。面子を重んじる中国系の彼等にとってそれは大きなインセンティブである。

 初期投資を抑える意味で、合弁のパートナーは彼等が他のビジネスで使用していた倉庫を200坪貸してくれた。しかも3年間は賃料を無料にしてくれたため、固定費を抑えることができた。

 以上がI.Fについての経緯・概要である。しかし海外進出については、同社と全く異なる考え方もある。豊富な海外進出の経験を持つある日本企業の社長から、伊藤氏はパートナーとの関係について次のような厳しい指摘を受けた。非常に興味深い内容で、多くの企業の参考になると考え、長い引用になるがここに紹介したい。指摘してくれたのは、5カ国に生産拠点を持ち、自身が20年の海外経験を持つある中小製造業の社長である。

 「I.Fを短期間で軌道に乗せたことや、順送金型の設計を含め金型の現地生産までできたことは大変すばらしい。しかし合弁会社、しかも50%対50%という形態にしたのには疑問がある。日本の技術力の高い企業が海外で合弁会社を設立するメリットはないといってよい。日本の株主だけで100%の出資で進出するべきであろう。このような出資比率は、外国人のパートナーにとっては最も都合のよい、ラッキーな話である。

 日本に住む日本人には絶対に信じられないだと思うが、残念ながら日本流の義理、道徳、信頼、謙虚さ、そして特に金銭感覚を理解することは外国人には不可能であろう。日常のプライベートの交流が完璧に上手くいっている場合でも、金銭面の話になると日本人から見れば、彼等は全く人格が変わってしまうように見える。今後I.Fが成長するほど、外国人パートナーとの金銭感覚の違いや自己利益を最優先する考え方に苦労するだろう。当企業グループの唯一の合弁会社では、毎年決算後にトラブルがたえない」と言う話であった。

 過去にも海外進出している日系企業からこのような指摘はあったが、伊藤氏は自分のパートナーに限ってはそのようなことはないと考えていた。しかしながら、2002年に新工場を建設するための出資についての会議中にSy氏、Lim氏とトラブルになった。伊藤氏はパートナーのためを思って好意で、資本金の数倍にあたる金額を日本の安い金利で貸した事に対して「伊藤氏が日本の銀行の保証人になっているが当然のことだ。それに日本本社で余った資金を勝手に持ち込んだのではないか。安くても利息はI.Fで払うし、I.Fがもし倒産すればこちらも半分は責任と取るので、感謝の必要は無い。」と言われた。これを機に、相手が感謝することを期待してはいけない、余計な親切をしてはいけないと考えるようになった。

 日本企業なら感謝するようなことでも、外国人はビジネス面・特に金銭面で非常にドライな考え方をしており、恩を受けた素振りは絶対に見せない。感謝の気持ちを表現することで、自分達が不利になることを受け入れなければいけなくなると考えるのかもしれない。

 Sy氏は、会社と会社の損益に個人が感謝する必要は無いと言うが、個人的な親切心があるから多額の貸付ができると考えていた。
 同社にとって初めての海外進出で、しかも語学にハンディがあったため、パートナーの彼等の力が無かったらI.Fは成功しなかったかもしれず、伊藤氏は合弁という方法が完全に失敗だったとは思いたくない。ビジネスとして割り切って考えれば、彼等はパートナーとしては悪くはないだろう。だが今後の海外進出は100%出資を考えるようになっており、そうしたこともこのパートナーから学ぶことができたと前向きに考えたいという。

目次に戻る

3-5現地従業員の高い定着率

 現地採用の社員を解雇したケースは50名以上あるが、死亡をのぞいて優秀な人材がI.Fから欠けた例はない。優秀な従業員に「辞める必要がない、やりがいのある会社」と思わせるような魅力的な会社にしたら良いのである。I.F.の優秀な現地従業員には、「日本のボスに連絡せずに辞めるなよ!」と伝えている。また従業員が努力して技術力を高めたら、希望が出る前にそれなりの報酬を支払うことが大切であろう。

 日本的経営のよい面を取り入れるために、出張のたびに幹部とはもちろん従業員とも頻繁に直接コミュニケーションする。例えば、現地幹部とは頻繁に食事しているが、会社のボス(フィリピンでは尊敬するトップをボスという)との会食は、日本では考えられないほどに感謝されてプライドを持ってくれるため、信頼関係の向上につながっている。インドネシア、タイなど英語を話さない国であればそれは難しいであろう。

 日本の経営者は社員の将来の幸せも考えて経営することを現地従業員に説明する。初めは全員がこれを信用せず、理解を得るのに時間がかかった。アジア各国(特に貧富差がある国)では「労働者はオーナーに利益を出すための道具である。」と考えられており、労働者の立場を考慮した経営感覚が無いからであろう。現地従業員が「この会社で勤務することが、長期的に自分のためになる」と考えられるようにしていくことが重要である。このような現地従業員の意識改革は4〜5年で帰国する大企業のサラリーマン社長より、オーナー会社の方が有利だろう。

 文化の異なる現地での人事をパートナーに任せたこともよかった。伊藤氏は知らなかったが、日本へ研修にくる際、Sy氏はトレイニー(研修生)に「帰国後5年以内に辞めれば、費用の8万ペソを弁償しなければ退職できない」という契約書にサインさせていた。何もそこまでしなくてもと日本人は考えるが、彼らの考え方は異なる。進出した多くの日系企業がそれをしなかったことで大きな損害を被っている。

目次に戻る

4 現地従業員の人事マネジメント

4-1採用

 現地従業員の採用は、幹部候補から単純作業者まで全て筆記試験と面接を行う。金型に従事する社員の筆記試験は、関数が出題されるなどかなりレベルの高いものとなっている。しかも半年間仮採用してから正社員として雇用すればよいという労働慣行のため、実際に仕事をさせてみて優秀な人を採用することができる。仮採用から正社員になれる者は30%に満たないため単純作業の女子正規社員でも「私は選ばれた」とプライドを持って働いている。ちなみに正社員になって日給は600円以下である。現在80名の社員(正社員は35名)がいるが、3年半で400名以上が入社試験を受けに来た。

 フィリピンでは、正社員としての採用後でも正当な理由があれば解雇できる慣行もある。I.Fでは、社用で買い物に行ったときに釣り銭をごまかしたり、連続3日遅刻すれば解雇対象になること等、明確に細かく規定している。

目次に戻る

4-2日本本社での研修

 伊藤氏は日本本社での研修初日に半日かけて、必ず現地従業員と互いに向き合って方針説明、理念等の話をするようにしている。「君達が日本で研修を受けた後や、I.F.で1〜2年くらい勤務して技術力を身につけた時に、他の会社からより良い待遇で声がかかるだろう。しかし相手もプロの金型企業であるから、君達が1〜2年で学んだ程度の技術では、転職後半年もしないうちに移転先の技術者に吸収されてしまうだろう。その時、あなたの高賃金が社内で問題なる。経営陣はあなたを解雇するかそれとも全社員をあなたと同等の給与にあげるかどうかを検討することになる。おそらく会社の利益を考えてあなたを解雇するのではないか」という話をする。
 そして「今日からしっかりと日本的経営を自分の目で見なさい。そして、帰国後も日本的経営を信用して欲しい。」と結んでいる。

 日本での研修期間、現地従業員は社屋のとなりの社員寮に宿泊する。就業時間終了後は、社長自らが多いときには週2回程度夕食を作ってふるまった。社長に料理してもらうのは恐縮すると言うので「私はここにいる中で一番料理が得意だからやっているだけのことである」と説明しているが、上司が料理を作ってくれたということに感動したようである。上下関係の厳しいフィリピンでは絶対にありえないからである。

目次に戻る

4-3現地従業員とのコミュニケーション

現地パートナーとは初期から基本的な信頼関係が構築できたが、従業員とのコミュニケーション・教育については、考え方の相違で議論になることが多かった。伊藤氏は現地の従業員について、職位の差があっても同じ目線でコミュニケーションすることが重要だと考えており、I.Fでは幹部と社員とのコミュニケーションは日本流で行っている。長年の教育と職場のチームワークから優れた金型ができて得意先から高い評価を受けるのである。現地にはこのような企業があまり無いため、パートナーには時間をかけ何度も説明しなければならなかった。

 例えばSy氏は「社長として尊厳を持つ」ことを重視し「従業員に甘くしたらつけこまれる」と考える。だが伊藤氏は、「つけこむようなレベルの低い人間はほんの一部か、又はいない」「萎縮させると逆にやる気をなくして転職につながり、愛社精神もなくなって技術修得も遅くなる。」と考える。
 フィリピンには5%しかいない中国系が経済の大部分を握っており、この不満が爆発する危険性から、防衛のために自然にこのような態度、考えになるのではないかと思われる。

 伊藤氏がフィリピンのI.Fを訪ねたときには、製造ラインの人が"Hello! sir"といって仕事の手を休めて話しかけてくる。そこで少し雑談した後に、伊藤氏が次のラインに向かうと従業員は仕事を再開している。そのようなコミュニケーション方法をSy氏は最初歓迎しなかった。伊藤氏には威厳が無いと考えていたのだ。
 Sy氏が経営する別の会社では、「常に仕事の手を休めるな」ということを終始きつく言っているために、Sy氏がいるときには真面目に働くが、彼が海外出張中など会社に不在のときには社員達の態度が悪くなり、怠けて仕事しないという現象が起こっていることを伊藤氏は知った。その点を指摘して「久しぶりに会った社員が2〜3分仕事の手を休めてコミュニケーションすることを特に問題にしてはいけないのではないか」「どちらが得なのか」と説明して理解を求めた。

 Sy氏に「創業初期には利益が出なくても、技術を習得したことは認めたり、誉めるように」と進言していたが、設立2年目も赤字が出たことについて全社員に不平を言った(ボーナスを出せない理由にしたかったと思われる)。この時たまたま朝礼に出席した伊藤氏は「設立後しばらくは赤字になるのは当初の計画通りではないか。社員に赤字の責任は一切無い」とSy氏を初めて叱った。
 雇用機会の少ないフィリピンでは経営者の立場が強いため、そのような言動も受け入れられている。しかし従業員育成のためには温かみのある経営をしたほうが、長い目で見て良いと伊藤氏は考えている。彼等がつけこんだり、甘えたりするどころか、社員がたまにしか訪比しない伊藤氏を尊敬している姿を見て、Sy氏はこの日本的なコミュニケーションの良さを徐々に理解してきている。

目次に戻る

4-4 現地従業員の待遇

 I.Fは2001年現在、かなりの利益が出るようになっているため、業績をあげている社員には手厚く待遇すべきであると考えている(といっても日本円で1日100円〜200円程度の加算である)。Sy氏には、「人件費を無意味に節約するような癖を止めてもらいたい。なぜなら日本で研修するなど長時間かけて育成した優秀な現地従業員が、給与に不満を持って転職したら、高価な機械の操業がストップし大きなマイナスになるからである」と説明している。だがロースキルの単純作業者は、翌日にも補充採用ができるのでそのようなことは必要ない。

 フィリピンではクリスマス時に13th Salaryと呼ばれる国が定めた手当を会社の損益に関係なく1か月分支払わなければならない。しかし日本でいうボーナスは利益が出ない年度には支給しない。昨年末3年目の決算ではI.Fで利益が出たため、早速ボーナス(0.7ヶ月)を支給した。

目次に戻る

4-5 幹部の育成

 I.Fは現地人の幹部が課長級(supervisor)と部長(manager)で6人いる。このうち5人は大卒で、1人はvocational school(日本の高専)出身である。また6人中5人が女性である。フィリピンでは一般に男性より女性の労働意欲が高いと言われており、女性がすぐに辞めることもない。

 幅広いスキルを長期的に習得していくことが日本的な経営であり、それで真の高度な技術者になれることを現地従業員に説明している。そして能力のある者、素質のある者には製造・設計・営業と複数の業務を必ず経験させ、1人で商談や打ち合わせをすべてこなせる複眼的技術者(これについては後に詳述する)を育成するようにしている。今後I.Fが急成長した場合にでも、日本本社から高給な技術者の派遣を極力抑え、価格競争力をつけることが大きな狙いである。

 自分が習得したスキルを他人に教えたがらないのはアジアの一般的な傾向である。自分の存在価値を示したいためであろう。この点を意識改革するために伊藤氏は、「日本では幅広いスキルを修得した者が高い給与を得る。自分が習得したスキルを部下に教えて、その仕事を任せないと、自分が新しいスキルに挑戦する時間が持てないだろう。」と説明した。現在では従業員同士で教え合い、自分が他の人に教えていることをアピールするようになってきた。

 現在フィリピンでの初任給は一般に月に13000円、大卒で22000円程度だが、ローズ・アンドリオンさんという女性マネージャーの場合は80000円を超える給与を得ており、現地ではかなりの高額所得である。すでに現地駐在の加藤氏の片腕としてマネジメントを切り盛りする人材に成長した。彼女は会計士の国家資格を持ち経理担当として入社したが、現在では品質管理、生産管理や購買業務もマスターし、正式な見積もできるようになっている。
 昨年彼女は出産したが、その前後をのぞいて勤務している。フィリピンの中上級クラスでは家事のメイド以外に、子供が生まれたら通常ベビーシッター(メイド)を月に4000円程度で雇用する。それにより勤務を継続できるのである。

 ヘディー・アギュレスさんという女性も優秀で金型設計を担当している。彼女はマニラのマブア大学のメカニカルエンジニアリング学部を卒業後、トヨタサービスセンターに入社しその後I.Fに転職した。彼女は当時忙しくて日本に研修にくる余裕が無かったが、入社2ヶ月目から順送金型の設計をしている。
 金型を設計するためには通常は製造現場で5〜6年の実習が必須と考えられるが、彼女はその経験なしに設計できるようになった。現在1ヶ月に2.5型のペースで設計している。加藤氏の教え方が上手であったにせよ、同業者や本社社員、伊藤氏でさえ何故彼女が設計できるようになったのか今でも不思議だという。日本人では想像もつかない高度な能力があるとしか考えられない。

 他の現地従業員も大学出身者は学習意欲が高く、仕事の面でできないことはすぐに調べたり、同窓の専門の人に聞いたりして何とか仕事を完成させようとする。調べたり考えたりする時間を与えておけば、言われたことは必ず実行するなど非常に仕事熱心である。学歴を重視するフィリピンでは一般社会でCクラスの学校卒がAクラスより昇進することはありえない。しかし、「I.Fは製造業であり、製造現場で活躍するものは、学歴にさほど関係なく職位が上がる。」と伝えてあるが、現実には日本の状況とは異なり、Aクラス大学卒の者は圧倒的に能力が高い。

目次に戻る

5 経営者の英語習得

 伊藤氏は創業者(御尊父)の希望で四日市商業高校に進学し、2年生の時大学進学を決意した。進学高校との英語の遅れは歴然としていると考え、これを取り戻す為、1年半、1日6時間英語のみを独学した。そのような努力の結果、立命館大学経営学部入学後は英語のAクラスに所属したが、その後公私共に英語に接する機会はなかった。

 卒業後9年目に出かけた欧州企業の見学会で、6カ国語を話すロシアと日本のハーフの添乗員(通訳)に出会った。ロンドンのホテルで、彼に「貴方は英語が話せますね」と言われたことに自信を取り戻し、再び英会話に取り組む事にした。その後宣教師のVictor Wine氏と知り合い、1975年から16年間、彼がオレゴンに帰国するまで、自宅で家族と週1時間半のレッスンを受けるようになる。Wine氏から学んだことは単に英語だけではなかった。外国人の考え方、自己主張、アメリカ人から見た日本人、マナー、ジョークの重要性などを学んだことが大きかった。Wine氏が帰国して4年目頃から仕事で語学が役立ってきた。

 その後は、海外視察、海外取引、フィリピンに合弁会社を設立する時にも、通訳をつけずに社長単独でこなす事ができた。しかし、フィリピンは世界で2番目に多くの国民が英語を話す国であり、彼等の英語のレベルはきわめて高いため、伊藤氏はどれだけ勉強してもマニラに出張する度に、自分の英語の未熟さを思い知らされるという。誤解が生じたり問題が出た時、もっと上手く表現できれば早く解決できるのにと歯がゆく思うことが度々あるという。伊藤氏のご子息がアメリカの大学を卒業したのも、上記の苦労から生まれた発想であろうか。

目次に戻る

6 日本本社の従業員育成

6-1従業員の能力向上

 創業者は大変な人格者であり、職人を非常に大切にしていた。小学生時代、現社長は風呂当番で職人のための風呂準備を毎日していた。現社長の姉がたまたま職人さんより先に入浴したときには、ひどく怒られたという。伊藤氏が入社当時、職人を中心とした年長社員がたくさんいたが、やりにくいということはなく素直に方針に従ってくれたのも先代の人徳によるものという。

 同社では特定の幹部候補従業員だけでなく、全従業員の能力開発に取り組んできたため、75年という非常に早い時期に導入したQCサークル、最近のISO9002認証取得なども抵抗無く活動できた。また中小企業でも今後のグローバル化の対応には外国語の修得が望まれると考え、会社ぐるみで英会話勉強会を実施する予定である。

目次に戻る

6-2 複眼的技術者の育成

 同社では「製造業の会社は製造部門が主役であること」を周知徹底しており、従業員全員に製造部門の業務を担当させている。そして適性のある従業員には、製造・設計・営業と複数の職能を必ず経験させ、1人で商談や打ち合わせをすべてこなせるマルチな人材、つまり複眼的技術者を育成するようにしている。幹部だけが複眼的技術者になればよいのではなく、他にも育成する必要がある。同社が海外に非常に優秀な技術者(加藤氏)を派遣させることができたのも、そのような複眼的技術者が他にも育っていたからである。
  
 加藤氏は日本本社の技術力向上に大いに貢献し、その後I.Fを短期間で見事に軌道に乗せた社員である。日本本社ではCAD/CAM、NC工作機、自動設計ソフトの作成、ネットワークの構築等、様々な業務に関わりリードしてきた。CAD/CAMは83年当時で一式4000万円もの高額投資だった。当時専務だった伊藤氏は「君に任せる」と当時係長の加藤氏に言ってしまうと萎縮するのではないかと考え、「一緒にCAD/CAMに挑戦しよう」と声をかけ、共に講習会に出て学習した。加藤氏は長年のQCサークル活動、改善提案制度の経験でコスト感覚が備わってきていたため、CAD/CAMを早くマスターすることが収益に直結すると判断し、2ヶ月間も休みを返上して早期習得に励んだ。

その後は自動設計ソフトの作成などもてがけ、フィリピン進出前にはフィリピン松下に技術指導に出向いたほどの能力を身につけていた。フジゼロックス・コリアの金在珍技術部長も、加藤氏から6ヶ月間CAD/CAMを学んだ。現在はI.Fで全社的マネジメントを担当すると同時に、現地技術者の育成に取り組んでいる。彼は「現地従業員の待遇をさらによいものにしてやりたい」と熱心に教育し、その熱意が現地従業員に伝わったこともI.F.の短期間での技術力向上につながったのであろう。

目次に戻る

7 日本本社の経営戦略

7-1「挑戦する」社風

 同社ではこれまで漁網から金型、プレス部品と創業時から常に挑戦して事業を変化させてきた。漁網から金型に進出する際には、創業者が「あと5年は漁網で持ちこたえる」と考え、その間に伊藤氏と金型担当者に技術習得と採算目標の達成を命じた。

 プレスへの進出は1967年に、顧客に依頼されて量産加工をしたのがきっかけである。その時期の金型製作の時間当たり付加価値より、プレス加工のほうが数倍高いことがわかり驚いた。そこでプレス機械を追加導入して、本格的にプレス加工に参入し金型生産と部品量産を行い、現在はプレスが主要部門となっている。

 80年代はじめのCAD/CAM、MC導入は、単に高額投資(合計3億5千万円)をしたから生産能力が高度化したのではない。その投資を最大限に生かすために、自社のワークと工作機械の能力、稼動率、採算ラインを綿密に分析するなど導入前の研究をおこたらなかった。導入後もいかに稼動率をあげるかを努力し、必ず短期間で立ち上げて投資回収が速やかになるように努力している。資金の少ない中小企業は投資金額を早期回収することで次の投資を早めることができる。

 CAD/CAM導入時には、CADによる設計時間の短縮だけでは納期短縮や利益に貢献できないと判断し、まずCAMを1年早く導入し、N.C工作機をさきに稼動させた。結果的にCADとCAMのつながりがスムーズに運びCAD/CAMの構築が早くなった。

 M.Cでの夜間無人運転は、量産品と違い一品料理である金型のプレート加工は当時不可能と言われていたが、投資の早期回収のためにこれに挑戦した。昼間は従業員が頻繁に段取り変えをして、短い加工時間のプレート加工をする。社員が退社前に10時間前後の長い加工時間のワークをセットして夜間無人運転に入るのである。
 そのために、100本のツールマガジンを縦型MCに備えるというプレス金型メーカーでは多分全国初の投資を行った。退社前に工具をセットするとき、ツールマガジンのアドレス・工具の径・長さ・種類など、どれにミスがあっても無人運転時に事故が発生する。100本のツールをマガジンにパーマネントセットし、CAM側にも全てのツールデータを固定登録することで事故を防ぐことができることを、機械の発注前に予想していたのである。工具の寿命がくれば全く同じ工具を交換するが、それ以外は一切交換しないこともマニュアル化した。ツールマガジンが高価になった分の投資金額は、夜間無人化が可能になったことで、6ヶ月間で回収できた。

:現在は金型構造の高度化、得意先の要求に応え、新型MCのツールマガジンは全て120本に増強されている。

 省人化にも熱心に取り組んでいる。例えばプレス工場では月間7000万円生産しているが、女子4名、男子3名という少人数で操業しており、1人が多数のプレス機械を操作している。QCサークルや改善提案に加え、プレス部門、設計者、金型製造部門同士の日々の情報交換によってこの省人化が実現でき、品質と金型技術の向上につながった。
 「金型のメンテナンスがやりやすいようにこの部分は入れ子にしよう」、「金型の刃物の材質を変更したら、打ち抜き個数が数十パーセント向上した」「クリアランス(刃物の隙間)を材料別に設定を変えたら寿命が延びた」「刃物の表面粗さを細かくすることで、型寿命が延び、部品精度も良くなった」「生産部品の排出のシュートをこのようにすると排出ミスが無くなった」「このような構造にしないと金型が弱くなり、大事故につながる」「新作金型のスプリングの取り付け方法はとてもよかった」・・・等、部門間で常に情報交換し改善案はマニュアル化している。

 日本ではアジア各国と比較して人件費に対して機械が割安であることに注目し、2001年3月から4月にかけて一挙に14台もの小型自動プレス機(15トン〜80トン)を購入した。月に15万個から20万個以上生産する部品は、常に金型、材料をセッティングした状態にする。注文がきたらボタンを押せばすぐに生産が開始できる。つまり段取り時間の短縮ではなく段取りレスを狙ったのである。この方法で段取り時間が節約できるだけでなく、段取替え時に発生する品質トラブルも皆無となるメリットもある。又、新入社員でも即生産に参加できることとなった。仮に受注が急に増加した場合、外注依頼や人員増の必要が無くなるであろう。
 設備の償却がある程度進めば、今後10%〜20%ほどのコストダウンを期待できる。償却費がかさみ、経理上の苦労はあるが、この方法は将来有望な生産方式になる可能性があると期待して実験的に投資した。

目次に戻る

7-2 顧客との関係

 優良企業の得意先ほど、低価格の見積書を提出しただけでは受注できなくなってきた。低すぎる見積もりをすれば、その理由を問われるのである。「価格の見積りを一時的に安く提出して仕事を獲得する」ということが通じなくなってきた。

 顧客のN社の場合は、「高性能機械を導入した」「製造方法が改善できた」「海外子会社から低価格で仕入れる」といった具体的な低価格の裏付けがなければ、ただ単に安いだけでは発注できないと考えている。つまり低価格で見積る企業ではなく、低価格でつくるノウハウのある企業から調達しようとしているのである。同じ部品で「単価10円」の見積りが複数の企業からでた場合、10円で赤字が出る企業より、10円でも利益を出せる会社に発注をしたいとい考えているようである。そのため各企業の技術力もさることながら、貸借対照表や損益計算書、そして自己資本比率も重視されるようになってきた。

 顧客のS社は、協力会企業の評価に興味深い項目がある。一つは海外進出をしているか、もう一つはS社への売上依存率が30%以下であるか、というものである。これは自立した中小企業と取引したいという意思の表れであろう。

目次に戻る

7-3 政府と企業の関係

 伊藤氏は政府の産業政策に対して、次のような意見を持っている。第一に海外進出についてである。グローバル経営を進める中で、経営者が相互に情報交換して海外の事情を知り、試行錯誤しながら海外進出するのは自然の流れである。しかし、国・県や金融機関が海外の実態をよく把握していない状態での、海外進出を奨励する講習会等を開催しているのは雇用機会の減少・技術の空洞化・税収の減少と、進出失敗を招くことになり、国の利益に反するのではないかと伊藤氏は考えている。

 第二に時短についてであり、国が先頭にたって時短を強制する時代ではないのではないかと考えている。時短とは時間当たりの原価が高くなることにつながり、国による時短の強制が空洞化に拍車をかけると言えるのではないかという。
 大企業の海外進出の最も大きいメリットは、組みつけコストの安さ、いわゆる労働時間の安さと長さにある。国は時短を実施する時、国際競争力・物価の上昇・失業率増加 不景気の誘発等の対策も同時に調査、研究して実施するべきであった。

 「ドイツもやっているから」や「中小企業でも良い人材が取れるようになるから」という理由では説得力に欠ける。ドイツと日本では経済構造が全く異なるからである。9年前ドイツの金型工業会の理事(公務員)は、「ドイツでは時短に政府も反対したが、強い組合に押し切られた。国がやるものではない。時短により力の無い企業は大変である。」・・と伊藤氏に言った。悪影響が出てから対策をしても殆ど効果が出ないが、伊藤氏は機会があるごとに、
1)パートタイマーの最低課税所得のアップ、
2)深夜手当ての見直し、
3)外人労働者の長期受け入れ、
4)終身雇用制度の見直し、
5)時短に寄与する機械の特別償却率のアップ等を関係各位に提案・進言しているという。

 もちろん時短をしても企業が成長できる方法がほかにあれば、国民の福祉のためにも良いに決まっているし、企業は時短をしても採算が取れる努力をしなければならない。しかし、得意先が、合理化されていない零細企業から時短をした価格(つまり海外より異常に高い価格になる)で購買するのは不可能であろう。物価の高い日本で零細企業にまで時短を一律に強制することや、賃金の低い外国人労働者を受け入れないことを、アジア各国の企業は彼等の輸出競争力につながると歓迎しているのである。反面、大きな購買力を持つ日本経済の停滞も心配している。

他にも問題は山積しているが、このまま諸問題の対策が講じられないと、財政赤字は益々拡大し、貿易赤字となる日が刻々と近づきつつある。伊藤氏は、むしろ産学官が一体となって、海外企業が是非日本に進出したいと思うような魅力のある国にするにはどうしたらよいかを、国がリーダーシップを取り真剣に検討、実行しなければならない時がきているのではないかと提案する。めまぐるしく変わる国際経済を敏感に察知して、政府は時を得た方策にて産業界をリードして頂きたいと考えている。

 日本の製造業が生き残るための戦略・戦術を模索する時間がほとんどないほど、中国・アジア各国の技術の追い上げには激しいものがある。進出した日系企業の技術を各国の企業は熱心に学び取り、最新のCNC工作機を輸入して直ちに機械を分解し、構造を学び、同様の機械を模造するなどは日常的行為である

目次に戻る

8 経営のグローバル化に向けて

8-1 今後のグローバル化のビジョン

 同社は日本だけでなくグローバルな視野をもって経営に取り組んでいる。国の税収、国内の雇用を考慮すれば問題はあるが、日本だけに経営の場を自ら狭めることはないのである。今後は日本本社・I.Fをそれぞれ単独で考えるのではなく、グローバルな視点から包括的に考えていく。

 I.Fの加工技術の向上、設備の増強を図り、低価格の金型を大量に輸入することにより、得意先に還元しつつ、日本本社の競争力をつけることを最優先する。現地法人の成長いかんで日本本社の業績が左右されると言っても過言ではない。同社にとっては5年前には予想もしていなかった国際化が、現実のものとなった。

 日本本社はさらに人的規模を縮小しつつ、海外営業と技術開発に重点をおく。同時に英語のできる技術者を育成する。常に最新の機械を導入して、金型製作、設計技術の向上、ノーハウを蓄積する。又、今後主体となる生産は海外にシフトする。

 I.Fは予定より早く利益が出せるようになったが、現在は利益還元より将来の成長のための投資に回す。毎年ワイヤーカットやMC等を追加投資している。設立直後から金型設計ができるようになっており、更に設計者を増員してこの設計図面をネットで日本本社に送ることを検討している。日本では設計図面が平均1型40万円するが、I.Fでは利益を含めても5万円でできることになり、大きなコスト競争力になる。

 今後の新たな海外投資先として中国が有力な選択肢となっている。伊藤氏は去る2001年6月25日から9年ぶりに中国のチンタオ(青島)に3日間出張した。フロッピーディスクドライブのプレス部品40万セット生産を主力とし、順送金型も生産できる会社に出資する話が進められている。早ければ2001年9月にも契約が行われる。

 日本の中小企業が海外進出する為、最も大きな課題は本業以外の大きな資金である。我が国の税制では、経営者個人や会社には金が残らないシステムになっている。台湾の企業等が海外進出する例を見ると、凄まじい資金力に圧倒される。語学力や情報力もさることながら、せっかく良い技術を持ちながら、資金力の不足で進出できないケースも極めて多い。

目次に戻る

8-2 海外情報の収集

 海外事情については情報収集を欠かさない。商談がなくても伊藤氏自らが2ヶ月に1度は海外を視察する。得意先や銀行の現地駐在員、現地の友人等に視察先を紹介してもらっている。韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、タイ、マレーシア、中国では、得意先や友人が空港まで迎えに来てくれる。これらの国を定期的に訪問して「2〜3年前と何が変わっているのか」をチェックし、現地から見た日本がどんな状態なのかを知ることは非常に大切で興味深い。彼等には「何か変わったこと、興味深いことがあったら必ず知らせて欲しい」と依頼し、こちらからも情報を発信している。それらの情報の中には英語の電子メールも多い。

 情報収集は単に海外に出るだけではない。海外に数年間した駐在後に帰国した方々や、日本の商社からも様々なことを学ぶことが出来る。
 中国進出の迅速な意思決定も、日頃築いた世界からの情報力があったからできたのである。

目次に戻る

8-3 語学力について

 世界的に見てきわめて高い技術レベルにある多くの日本の中小企業であれば、海外進出成功の可能性は十二分にある。一般的に大企業より中小企業の方が金型製作技術、専用機、試作、多品種小ロットの部品生産は得意である。だが語学力が低く、海外事情の理解やコミュニケーション能力が欠如していることで、海外での活躍が制限されているのは残念である。

 又、中国、台湾、韓国が急速に技術力をつけてきている事実から、世界に通用する技術は日本だけのもので無くなりつつあることを忘れてはいけない。一流大学の卒業者が業界で多く活躍するこれらの国々にも、日本の中小企業は語学力では完全に遅れをとっている。

 現地の外国人に日本語を勉強させれば良いという意見をよく聞くが、それは無理である。一般に海外の現地法人では日本人1人に50人程度の部下がつくことになるが、50人全てに日本語を教育するのは全く不可能であり、一人の日本人が英語をマスターする方がはるかに効率的である。彼等にとってはいつ辞めるかわからない会社の母国語を勉強するインセンティブも無い。またマニラのみならず、世界中のビジネス・貿易は殆ど英語でなされている。
     
 70年代からの20年間は、外国人にとって、日本語が堪能であればビジネスチャンスが多く給与も高くなると考えられていた時期もあったが、残念ながら今や英語や中国語を勉強する方が将来的にもはるかに有利だと判断されている。

語学の問題をクリアする為に、伊藤氏は外国語学部卒業の人を採用して現場で金型全般を教育するというアイデアを提案する。工業大学卒に同じ教育をしながら語学の勉強をさせるよりも、外国語学部卒の人材に技術を教えるほうが容易だろう。歴史的にものづくりに長けている日本人は、学んだ学部が違うことで技術習得が出来ないことは絶対に無いと考えている。

<謝辞>

 このケース・スタディは、インタビュアーである筆者が、2回(2001年5月14日、2001年7月23日)にわたる伊藤製作所への訪問と、伊藤氏との数十通にわたる電子メールでのヒアリングを基に作成したものである。伊藤氏はご多忙にもかかわらず、快く多くの資料を提供し、多大な時間を割いてくださった。
 また伊藤氏と親交のある、アジアの機械産業に詳しいジャーナリスト松田健氏に、専門知識について助言をいただいた。
 ケース・スタディ作成の途中で目を通していただいた(有)アイ・ディー・オーデジタル出版の井戸潔氏は、巻頭言としてメッセージを賜ることができた。
 皆様のご協力に、ここに記して感謝したい。
 本ケースが、中小企業に関わる一人でも多くの方々に、少しでも参考になる事ができるとすれば、大きな喜びである。

滋賀大学 弘中史子

目次に戻る