2008年9月 アジア・マーケットレビュー 
 

 

工場を大幅拡張し受注増に対応する
伊藤製作所フィリピン社



 フィリピンへの製造業の投資が伸びないが、すでに投資している日系工場では拡張するケースも増えている。三重県四日市市で金属プレスと金型を製造する伊藤製作所では、フィリピン進出当初や現在の工業団地内に移転した時より大型投資を実施、現工場の隣接地に新工場を建設中で今年10月末にも完成、年内に稼動させる。日本の伊藤製作所の伊藤澄夫社長は、フィリピンで建設中の工場で、「今後も、海外工場の拡張は、これまで大成功させてくれたフィリピンしか考えない。しかし今後は工場を大きくすることでなく、フィリピン人社員の幸せ追求に寄与することをフィリピンでの最大の目標にする」と語った。

 

 フィリピンへの製造業の投資が伸びないが、すでに投資している日系工場では拡張するケースも増えている。三重県四日市市で金属プレスと金型を製造する伊藤製作所では、フィリピン進出当初や現在の工業団地内に移転した時より大型投資を実施、現工場の隣接地に新工場を建設中で今年10月末にも完成、年内に稼動させる。日本の伊藤製作所の伊藤澄夫社長は、フィリピンで建設中の工場で、「今後も、海外工場の拡張は、これまで大成功させてくれたフィリピンしか考えない。しかし今後は工場を大きくすることでなく、フィリピン人社員の幸せ追求に寄与することをフィリピンでの最大の目標にする」と語った。

 伊藤製作所フィリピン社(ISPC)の工場はマニラから南へ60キロほど、ラグナ州にある『カーメルレイU』というシンガポール資本のアセンダスが経営する美しい工業団地(輸出加工区)でマキリン(Makiling)という有名で美しい山が工場の窓から見える風光明媚な場所。工業団地にする前には、リゾートとして開発する計画だった土地だ。

 この『カーメルレイU』にある工場隣接地を、50年間リース、約3,000万円で契約、新規金型設備や輸送トラックの新車などを含め約3億円の投資で新工場を建設中。

 「11年前にフィリピンでスタートした前身の工場は、3−4千万円程度の中古機械を日本から運んだだけでの小さなスタートだったが、現工場をこの工場団地内に日本の伊藤製作所の全額出資会社として2003年に現在の工場を建設したときは土地、建物、設備の合計で1億9,000万円の投資だった。今回はそれを大きく上回る投資になります。しかも今回からは日本からは資金的な応援はゼロでフィリピン内だけで資金調達しています。その4割は自己資金で6割を借り入れました」と伊藤社長は説明する。

 ISPCの従来の工場敷地は3,956平方メートルだったが、今回5,000平方メートル増え、約9,000平方メートルの工場になる。現工場は一部が2階建てで計2,300平方メートルの工場・事務所スペースがあるが、新工場の建物のスペースは当初1,470平方メートル。

 この拡張は現有で生産キャパがパンクしている受注増に対応するもので、新工場にも60トンから250トン順送プレスを導入する。今回初めて導入するISPCでは最大の250トンプレス用の順送り金型が製造できる、森精機のX1600、Y860、Z(高さ)600ミリで60本の工具が使えるATC付のマシニングセンターを昨年導入した。今回の新工場用には岡本工作機械の平面研削盤などを導入する。プレスは現状の24台から8台増の32台になり、単発と順送が半分ずつだが、さらに順送が増えていくる見込み。

 ISPCの売上高は2002年に5,400万ペソ(1ペソ約2.5円)、03年に5,500万から07年の1億6,400万ペソまで拡大してきた。「今年(2008年)は2億ペソになるでしょう。金型製造は社外に売る型も含めて全売上高の25%ほど、残りが金属プレスです」とフィリピン訪問中の伊藤製作所伊藤社長は説明した。

 

「日本で10年以上かかる金型設計でのひとり立ちはフィリピンでは7年で実現」

 伊藤澄夫社長は、中京大学大学院MBAコースの客員教授を務めており、母校の立命館大学などあちこちの大学、業界団体などから講演会の講師として人気が続いている中小企業経営者。去る6月には日本金型工業会の副会長にも就任、同会の中部支部支部長も兼務している。フィリピンのISPCでは日本の大学生のインターシップ受け入れも行なっている。このように工場経営の外でも面倒見が良いことで知られる伊藤社長と伊藤製作所だが、社内でも従業員教育に力を注いでいる。

 同社は順送り金型の設計からプレスまでを行なうことを強みにしている。フィリピンの工場であるISPCは、立ち上げてから今年で11年目だが、7年目から日本人がいなくてもフィリピン人だけで金型設計が行なわれている。しかも伊藤社長は、「日本の当社では40年以上の経験を持った技術者がいるが、フィリピンでは11年以下の経験者でレベルの高い金型を製作している。今後の成長は日本以上に期待が出来る」と言う。

 フィリピンのISPCでは、順送金型の設計を、まったく日本人が介入せずに行なわれているが、今のところ、普通のレベルの金型設計だけで、超精密や高度な金型設計には無理なものもある。そこで「今後はどのような型でもやれるように、これまで以上に長期に日本に呼んで研修、指導したい。また、将来、日本で熟練エンジニアなどが不足する事態になれば、フィリピンの従業員を日本の従業員に代えることもありえます」と伊藤社長は言う。

 現在のISPCの社員は90人で間接部門は15人で他は製造に従事している。正社員は55人で契約社員が35人。フィリピンの日系企業では、勤続半年以内なら正社員せずにすむ法律を利用して半年契約の社員をまわして使用することで賃金の上昇を抑えているところが多いが、ISPCでは比較的、契約社員の比率は低い。

 ISPCのフィリピン人トップはGM(ジェネラルマネジャー)のローズ・G・アンドリオンさんという女性で、フィリピンの伊藤製作所に11年勤める生え抜き社員。現在はISPCのフィリピン人唯一のダイレクターで、伊藤製作所を除く唯一の株主で、ほんの少しだけながらISPC株式を保有している。創業当初では間違っても謝罪しないなど、日本人とは違うと伊藤社長らを困らせたローズさんだが、その後は次第に日本人的な行動が目立つようになり、「今では会社の経費の節約面などで、私に注意してくれるなど、今や彼女は日本人よりも日本的な言動ばかりです。当社の若手の」と伊藤社長は目を細めて感心する。

 日本の伊藤製作所からISPCの2代目の若手社長として稲垣朋彦(いながき・ともひこ)氏が就任しているが、「まだ英語も含めて経営を勉強している段階で、ローズさんが事実上の社長」と伊藤社長は本人達の前で公言してはばからない。

 ISPCでは工場の掃除のため、かつてジャニター(Janitor=英語で守衛)と呼ばれる2人の掃除夫を使っていたが、ジャニターはゼロにした。これが実現できたのは、ローズさんが、日本での研修中、伊藤製作所の男子トイレの清掃を総務の女性正社員が行なっていることを見て大きなショックを受けたこと。その後、ISPCの掃除は日本の伊藤製作所と同様に皆でやることにし、従来のジャニターは現在、プレス工となって働いている。

 

「フィリピン人社員の幸せ追求が最大の目標」

 現在のISPCの勤務時間は午前8時ちょうどから午後5時15分まで。毎日1、2時間程度の残業がある人が多いが、「残業は皆、進んでやってくれる」と日本の伊藤製作所からISPCの2代目の若手社長に就任した稲垣朋彦(いながき・ともひこ)氏は説明する。休憩時間は工場では午前11時半から50分間で、事務所では正午からの50分間。「1勤でやっているのは従業員の生活を重視しているからです。しかし金型部門は設計者も土日に出て、金型の調整やトライを行なうことがあります」とISPCの稲垣社長。

 伊藤社長は、「今回の工場増築後は、会社を大きくするより、フィリピン人社員の幸せ追求を会社の最大の目標にする」と自ら言い聞かせている。「戦争中に日本が多大な迷惑をかけたフィリピンでは、現在でも失業率が高い。この国で日本の中小企業が小さな恩返しができたら本望」というのが伊藤社長の本心。

 工場があるラグナ州のカランバ(Calamba)市内でも同社のすぐ近く、門までなら歩いても行けそうなところにアヤラ財閥が開発した販売中の新しく広大なゴルフ場付リゾートがある。ISPCではここに大きな一軒家を新築する計画。これまでも、「このリゾート内のクラブハウスを借りての従業員パーティを開催したことがあるが、完成するとISPCの新たな福利厚生施設として従業員が広く使えるようにしたい」と伊藤社長。

 

フィリピン進出の経緯

 伊藤社長は、日本での取引先にタイに進出するところが増えたため、95年に進出検討でタイに自ら調査に出かけたが、「タイは、すでに同業が多数進出、しかもバブル経済で外資への投資恩典も減って、工場用地確保もままならない状態だった」。いろいろ考えた伊藤社長は、同業の日系の金属プレスの進出が当初は皆無に近かったフィリピンに着目、かつて日本の当社工場でアルバイトして以来の知人だった中国系フィリピン人との合弁会社として97年6月にフィリピンのマニラ首都圏マンダルヨン市のパートナーの敷地内に初の海外事業をスタート、プレス金型と部品生産を始めた。

 この選択は正しかった。タイに比べ品質が良い金属プレスやその金型製造ができるところが決定的に少ないフィリピンでは、日本では伊藤製作所がなかなか取引できないような大手である松下電器産業の家電部品とか、富士通テン向けにカーオディオのシャーシ、またトヨタ系やホンダ系の大手一次下請など、予想以上の注文獲得に成功できた。シートベルト大手のタカタ・フィリピンやユタカ技研、また、フィリピンのセブ島の輸出加工区にあるヤマシンの工場にフィルター関連の金属部品を船で配送しているが、ヤマシンのタイ工場で使う部品をフィリピンの港まで出荷している。

 しかし2002年にフィリピン撤退も考える危機もあった。それは2002年8月17日、現工場を建設する契約金を支払った1週間後のこの日、伊藤製作所から唯一の日本人として駐在して、采配を振るっていた副社長が心臓病で急死した。伊藤製作所に同氏に代われる人材がいないと見たパートナーの中国系フィリピン人は葬儀中の混乱の中で合弁の解消を申し入れてきた。そこで資本金はこの中国系フィリピン人のパートナーに返済した。従業員の退職増に手をうつため、30人を急いで採用したので質が悪い社員も入って社内の暗さに輪をかけた。しかし、当初は新工場に行かずに退職すると言っていた社員のほぼ全員が、「再就職させて欲しい」と希望してきた。フィリピン側パートナーの経営からの離脱で今後は「100%日本側が出資する会社になる」ことを知った従業員が考えを変えたもので、「それまでの中国人式の経営を、私が考えていた以上にフィリピン人社員は嫌っていたのです」と伊藤社長は振り返っている。

(アジア・ジャーナリスト 松田 健)