1990年1月号 月刊誌(金型プレス) 
 

当社の初代社長伊藤正一が、昭和30年代中頃、ある弱電メーカーの工場見学した時、腰が抜けるような驚きとひらめきが走った。地場産業である漁網機械関連部品のみを20年間製作していた前社長は、それまでプレス加工は製品が下に落ちるものばかりと考えていた。見学したその工場では、何とスクラップが下に落ち、製品が上で順次製品になるではないか。いわゆる順送り金型である。

前社長は決断した。私が卒業するタイミングを見計らって工業団地に進出し、「カスの落ちる金型を造れ」を大号令に生産設備の大幅な見直しを進めた。参考資料も得意先もなく技術者も不在。その上不景気に見舞われ、償却費もかさむ。納品した金型は何回も返品、手直し・・・。思い出せば苦労の連続であった。良くぞいくつものハードルを乗り越えられたものだ。

以後、大手得意先の発展の恩恵も受け、順送り金型メーカーとして26年が経過した。しかし円高と言うかつてない環境下で、我々金型屋に今混乱が始まった。人材不足、多額の設備投資に加え、円高による大幅な受注価格の低下は採算の限度を超えている。転業、廃業はかなりの数に上る。首都圏や大都市の企業はその土地の含みは大きい。処分して転業できる企業は幸運であろう。やめたいと思ってもやめられない企業がほとんどである。

工業国に於いて産業を支えるのは金型と言われている。かってはこの仕事をする事にプライドを持っていた。先月訪韓して分かった事だが、この国では官民一体で、金型のレベルを上げるべく全方位で努力している。一部の工業大学には金型学科も設置されると言う熱の入れようである。誠に羨ましい限りであった。

現在金型屋が儲からなくなったことにうらみ節をいっているが、我々も大いに反省する事がありはしないか。金型つくりに精を出すが、同時に経営や情報の収集に関心を寄せていたか。年々合理化を進めてきたか。営業努力しなくても仕事はあると考えていなかったか。長期展望の人材教育はしてきたか。反省しなければいけないことも多い。

最近得意先から海外の金型価格と比較される。今の円高で計算すれば、残念だがコスト面での競争力はなくなったといえる。海外の金型屋に発注する事も心配であるが、このまま得意先が海外に丸ごと移転してしまうことの方がより心配である。
だが、先進国、NICS諸国の同業者を見学し、帰国するたびに思うことは、日本は世界のどの国より、型造りに向いている気がしてならない。理由については書ききれないのが残念ですが、私自身意を強くしていることも多い。

21世紀の助走と言うべき90年代のスタートにあたり、当社も先行きを模索している。海外の動き、得意先の方針、新製品の把握、最新鋭マシンなど、情報を的確に察知し、当社の向くべき方向を見誤らないよう努力したいと考えている。
同業の皆様共々良い年、良い90年代になることを願いながら・・・・。