1999年4月1日 商経機械新聞 
 

専業プレス金型で初---97年に華僑と合弁会社

去る2月末のフィリピン・セブ島経済視察の団体旅行で、メンバーの一人だった伊藤製作所の伊藤澄夫社長に初めてお会いした。

フィリピンで伊藤社長は、行く先々で一万円札を宙に浮かす、火のついたタバコを宙に消すといった手品を披露していた。ホテルでも、セブ市長も出席している公式の食事の席などでも、周囲を沸かし続けていた。私はかって業界紙の記者として数年間、金型業界を担当した事があり、どの業界でも優れた人材がいると感じたものだが、伊藤社長ほどユニークな金型会社の経営者に会ったことはない。

ラモス前大統領が投資環境を大幅に改善させた事から、フィリピンは外国企業の投資先として注目されるようになった。金型会社も大手企業はフィリピンに進出したが、日本の専業プレス金型ではフィリピンに進出した日系企業はまだないものと思っていたところ、伊藤社長はマニラで華僑と組んだ合弁会社の金型工場を持っているという。

そこで、同社長の案内で同社のフィリピン法人であるイトーフォーカス・コーポレ−ションを訪問した。そこではCAD/CAMをはじめ、昨年空輸で購入したと言うアジェの新型ワイヤカット、3次元測定器とあらゆる金型製造設備を既に導入し、忙しくしている工場だった。

日本では円高が進み納入先の大手企業の東南アジア進出が続いたため、当初、同社もタイ進出を検討した事もあるが、検討した96年にはタイは既に先発企業が多数進出しており、しかもバブルの真っ盛りのタイでは工業用地の確保もままならなかった。そこで目をつけたのが、先進企業がいなかったフィリピンだった。

伊藤社長がフィリピン進出を考え始めて真っ先に連絡したのが、四半世紀の付き合いのあるロバート・T・リム氏という中国系フィリピン人だった。彼は25年前の1974年、当時同社の隣にあった漁網会社に研修にきていた。フィリピンのパモという漁網メーカーが3ヶ月の研修に送っていたのだった。寂しそうにしていたリムさんを、伊藤さんは夜遊びなどに連れて歩いた。「京都に連れて行ってもらって、すき焼きを食べた事が忘れられない」とリムさんは振り返っている。

リムさんは国立フィリピン大学(UP)を卒業しているが、同大学の1年後輩で、卒業後にスタンフォード大学で経営学修士を取得したステファン・D・シー氏を、伊藤氏に紹介した。そして話はとんとん拍子に進み、伊藤氏(日本側)が自己資金で50%、リム氏とシー氏が50%を出資して払い込み資本金800万ペソでフィリピンにイトーフォーカス社を設立、97年6月に創業を開始した。

新会社では、会長に伊藤澄夫氏、社長にステファン・シー氏、リム氏は副社長に就任した。日本で償却済みの工具100本装備のATC付マシニングセンター、NCフライス盤、研削盤を中古で移設したほか、平面研削盤などを新規に購入した。また、アイダ、アマダ、コマツと高速自動プレスを9台も導入した。リムさんは中古エンジンや溶接機などの輸入業、シー氏は米国製高給家具などの輸入販売をしていたが、イトーフォーカス設立後も従来の仕事は続けている。イトーフォーカスでは、プレス・スタンピングと順送り金型製造を行なっている。

(アジア‐ジャーナリスト 松田 健)