1999年4月8日 商経機械新聞 
 

  日本から技術部長赴任 現地でも優秀な人材確保

フィリピン法人ができるまで日本の伊藤製作所で技術部長だった加藤美幸氏が、これまですっとイトーフォーカスで採用したフィリピン人社員の教育に当たってきた。これまで単身赴任だった加藤さんが、「近く家族を呼び寄せる」という。また「最初にお会いした時、加藤さんはまるで英語ができなかったのですが、今は全く問題がないほど上手くなったので助かります。加藤さんはプレスから金型、そしてCAD/CAMに至るまで広い分野で技術的に精通している極めて重要な人」とシー社長は加藤氏を高く評価している。

又シー社長は、3年前にフィリピンのNTTにあたるPLDTという電話会社からメイルという労務のベテランを人事部長としてスカウトし、同社グループで労働問題が起きないようにしている。メイル部長は、プレス部品の選別などの単純労働を行なう社員採用でも筆記試験を実施している。

このため「全て頭が切れる人を採用でき、単純作業のスピードも速い」と伊藤社長も感心している。華僑系の中小企業では珍しいと思うのだが、安くて清潔な社員食堂も会社負担により98年1月からオープンして人気が高い。

「この女性がいなければイト―フォーカスは成り立たない」と伊藤社長が高く評価しているのが、ヘディー・アギュレスさんという28歳の独身女性である。伊藤社長は、「当社の日本の工場では5年間を現場で教育しても、出来ませんといって泣きごとを言うに違いありません。しかし、ヘディーはこの1年半の間に一人で20型の順送金型図面の設計を仕上げ、そうそうたる大手企業に納入しています。まったくすごい、根っからのメカ好き女性です。日本ではこんな女性、何処を探してもいないと思う」とベタ誉め。ヘディーさんは電気技師を父親に持ち、5人兄弟の真ん中。マブア大学でメカニカルエンジニアリングを専攻したという。勤務時間は午前8時から午後5時だが、ヘディーさんは夜中の12時ごろまでCAD画面と夢中で取り組む日々が多いという。

イトーフォーカスは創業してまだ2年に満たないが、「客はフィリピンの松下グループのMEPCO,ドイツのテレファンケン、富士通テン、デンソー、トヨタ、HONDA系といった日本では当社を相手にしてくれないような大会社が中心です。仕事は能力アップと営業活動をすればいくらでも増えそうだが、急に拡大すると問題が起きる」としており、徐々に拡大路線をたどる方針である。いつかフィリピンのほうが日本の伊藤製作所の業績より上回る時代が来るのでは、と伊藤社長に聞いてみたところ、「充分あり得ます」と即答された。

イトーフォーカスの工場は、マニラ首都圏でこの5〜6年でマカティ市のとなりのビジネス街として発展している。マンダルヨン市にあり、工場の近くは、アジア開発銀行(ADB)の本部や証券取引所なども近年、移転してきている。シーさんが保有する土地で、使われていなかった倉庫を改造したのがイトーフォーカスのフィリピン工場である。

かつてマンダルヨンは工業地帯であったが、近年、商業地区に指定されており、今後は工場を立地できない事になった。しかし、同社のように既に工場のあるところはそのまま続けてよい事になっている。この地域は、フィリピンでもとりわけ優秀な人材を採用できる土地柄である事も大きなメリットである。

伊藤社長とは、フィリピンのセブ島への経済視察旅行で知り合ったとき、普通の中小企業の社長ではないと直感した。同視察旅行の岐路、マニラによると言うので、私もマニラで同じホテルを予約、工場見学をさせてもらったもの。他の取材もあった私は、伊藤社長よりも更に1週間遅く日本に帰国したところ、伊藤社長から同社の会社案内や資料が届いていた。

(アジア‐ジャーナリスト 松田 健)