―自動化でその名を知られた金型業界の先覚者・伊勢路に伊藤製作所を訪ねて―
★ ある商談と、伊藤哲学
"当社では、お宅の要望のこの金型ならご指定の納期より二日お早くお納めできます"
"えっ!大至急欲しいとはいったが、そんなに早くできますか?精度も確保して・・・"
"自動設計とマシニングセンターの短納期生産システムが完備していますので・・・"
"ほう・・・、そんなに早く容易にできるなら、コストはもっと安くできるはずですね"
―これは伊藤社長が良くぶつかる商談の一つです。伊藤製作所はトップレベルの順送り金型のメーカーとしてプレス業界に知られています。それだけでなく、金型業界の集まりでも、自社で開拓した金型加工方法についてその機械とノーハウを数多く発表しています。
名古屋大学にある研究会や金型のユーザーであるプレス工業会でも、これまで何回となく加工技術の講師も努めてきています。
"何故そこまで合理化・高速技術のノーハウや機械をお客さんであるユーザーに公開するのか。早くできることが分かれば、コストダウンを要求するユーザーが出てくるだろう"というわけで、これが冒頭の商談ともなったのです。それに対する伊藤社長の答えは―
"早い加工の機械を見て、そんなに速く出来るなら安くしなさいと本気でいうユーザーはいません。1日に10時間稼動するのに対して、20時間稼動している工場の販売価格を安くすれば、10時間で稼動を止めた方が徳ですね? 納期が早く、他社より若干でも安ければ、可愛がっていただけます。従って、再投資ができるし、ある程度償却が進めば、無理を言われないユーザーには自主的に安くしています。無理を言われるだけのお客さんにはお断りする事もあります"―とのことです。
既に他のメーカーより安くしているので、これ以上単価を下げてまで価格競争をして生産を拡大するという事より、能力を十分に生かして確実にこなす事により時代の要請に応えることのできる仕事が大事でしょう。納期も大切ですが、金型のアイディア、技術の高さでお得意先により信用を頂くのは、もっと大切なのです。
そして我々は金型屋のレベルアップが産業界にとっていかに大切であるかを強く認識して努力を重ねていく。なお、技術に生きる為には、人材の意欲と女性も含む全社員の創意工夫が基本となる。それが自動化効果を高める情報ソフト化を有効にする。
―ここらに伊藤哲学の一端が伺えそうです。
★ 漁網機械から金型メーカーへ
伊藤製作所は、先代の伊藤正一氏(大正元年生まれ、昭和63年没)により昭和20年に創業されたもので、戦災による漁網機械や撚糸機械の復興事業で出発しました。やがて正一氏は、先見の明から金型の重要さに着目、いずれ後継ぎとなる澄夫氏に金型製作を指示しました。
現社長の伊藤澄夫氏は昭和17年生まれの56歳、立命館大学を出たばかりの澄夫青年は、志を立てて横浜の研磨機と金型メーカーの試験を受け採用となったのですが、その会社は入社直前に倒産し就職できませんでした。しかし一旦目指した金型製作です。目的意識に目覚めて名城大学の機械工学部(夜間)に入り、経営学から工学まで勉強しました。
そして着目したのが順送金型です。打ち抜きプレスで抜かれて下に落ちた製品を再び、次の工程に運ぶというより、製品を下に落とさないで材料のフープ材につけたまま横に送って順々に成形し、最後に完成品が抜かれて製品箱に入るという方法です。こうすれば無人化と高速化が可能となり、これは将来有望な武器になると先代は見抜きました。
人材の養成と全社員の能力開発のために昭和50年から全員参加によるQCサークル活動が熱心に推進されました。これが社長の意図した社内組織の改革につながり、省人化設備の充実となっていきました。こうして遂にCAD/CAMの実働となり金型業界に頭角を現すようになりました。
順送金型の設計製作を始めて3年目、昭和41年に自動プレス1号機をテスト加工に導入したのが、当社のプレス加工分野の出発です。これはやがて近くの市内広永町のプレス専用工場新設となり、伊藤製作所の大きい柱に成長し、今では月間300トンの材料をこなしている。
★ 剛性ある機械と、120本のATC
当社はイートンを合わせて現在65人。現地に工場を新設し機械の増設を始めた30年前の当時からわずか15人しか増えていません。しかし、売上高は6倍の19億円に達しています。
こうして、昭和54年にNCフライス2台とワイヤカット放電加工機4台を入れてから、プレス専用工場の自動プレスまで、更にマシニングセンター8台(VK形4、VG形1、MG形1、HC形2)、ワイヤカット10台を含む放電加工機13台を始めとして各種研削盤からボール盤まで、総計85台の工作機とCAD/CAMシステム6台を、なんと女性も含め65人の人員がこなしていることになります。
積極的な自動化への投資で、24時間稼動で社員が帰った後の夜間もマシニングセンターは止まる事はありません。
昭和50年当時の常識では、金型の加工はワイヤカットでした。当社がNCフライスでの加工で、順送金型の生産実績が上がっている事で、なぜワイヤカットを導入しないのかと不思議がられました。
このことについて伊藤社長は次のように話しています。
当社はRや角度出しの二次元形状の研削技術が非常に優れていましたし、9人の研磨技術者が頑張っていました。ワイヤカットのスピードは成形研磨加工やNCフライスによるエンドミル加工に比べてはるかに遅いのです。
NCフライスの導入により、当時のほとんどの社員が数値制御プログラムをマスターしてくれたのも幸いでした。これが、その後のCAD導入の選球眼になりました。さらにNCからコンピュータへと続き、昭和58年のCADの実用化により自動設計で設計時間の短縮が図れました。
マシニングセンターの導入とあいまって早い切削による加工、優れた研削技術で仕上げられてコストを下げる事ができたのでした。もっとも、現在の当社の技術では切削加工で仕上げただけのエッジで金型の刃として十分使える金型も増えてきています。
なお現在は、ワイヤカットも特徴を生かして10台が稼動しています。
マシニングセンターのフル稼働―
昭和58年の設備増強でATC100本のマシニングセンターが設置されました。ある著名なNC工作機械メーカーの常務が、どんなに工程があっても、金型のプレート加工程度なら15〜20本もあれば十分だろう。といったとき、伊藤社長は訴えています。
"金型は常に一品料理だ。製品(プレート)が変わるごとに別のプログラムに従って毎回刃具の交換が必要である。番地ミスや工具寸法による事故を防ぐには数多くの工具をパーマネントセットする事が必要。刃先の磨耗・欠損を考えれば可能な限りATC本数は多いほうが理想的だ"
かくして、立・横合わせて8台のマシニングのうち、5台がマガジンいっぱいに120本の工具を装着して昼夜フル稼動となって、現在にいたっています。
機械の剛性について―
高速重切削思考で生産効率向上を狙ったNC工作機の切削条件が自動車メーカーなどで研究され、成果を上げたのは結局剛性のある機械である事が分かりました。
当社のCADで適正に設計された金型加工では大量の切屑を出すような重切削ではありません。したがって、重切削で加工する機械の寿命が10年だとすれば、当社では余裕のある使用で20年以上の寿命を保つ事ができるわけで、設備費は割安になり、しかも充分すぎる高剛性に裏付けられて結果として安定した精密高速切削が実現します。
★伊藤とイートンの技術をそのまんまマニラへ
蓄積された金型技術、教育された社員の意欲、そして日本のメーカーの高性能マシンが高次元でマッチし、日本の金型屋は世界的にトップを独走しているといえます。この技術をそのままアジアに移転するのも面白いのではないか、というわけで当社は昨年末マニラの中心部(マンダルヨン市)に金型、プレス加工の合弁会社を設立しています。
既に償却済みの100本ATC付きマシニングセンター、ワイヤカット(2台)、NCフライス、新規に3次元測定器・研削盤(3台)、汎用機(8台)、そして自動プレス9台を導入しました。60人以上の応募者から選んだ極めて優秀な9人の現地社員の研修も追え、受注活動を開始しました。日本で3ヶ月の教育で当社の平均的な新入社員よりやや優秀と意外な結果が出ています。人材が特に大切といわれる金型メーカーにとって、先々期待が持てそうです。
"フィリピンに仕事があるの?"良く聞かれる質問です。いや200分の1か、300分の1位しかないでしょう。しかし我々の競争相手は2000分の1もない・・・"
現地法人が予定通り成長すれば、当社の古いマシンを移転する以外に、このところ急に進歩した日本のNC工作機を順次購入し、さらに競争力をつけたいと社長は考えています。
★ ビジネスに手品師の秘戯が・・・
私どもルポ班が当社の現状とその経営内容、独自の哲学をほぼ伺うことができ、これで取材は十分と思ったので、雑談的に社長個人の趣味の話に移しました。
スポーツの万能選手からヘリコプタ、飛行機操縦までできる特技の話がマジックに及んだ途端、伊藤社長の態度が一転、手元のタバコを取り上げ、なんやら両手を動かしてアッという間に我々の目前からどこかへ消失させてしまいました。マジシャンに変身です。
アレアレと不思議がっているうちに、次から次に手品を披露するのです。預かった1000円がなにやらお呪いすれば、両手の間で宙に浮かんで落ちない。1枚が2枚に増えて差し出される。我々はカメラを構えてその瞬間を狙いました。マジックはお決まりのトランプにも及び、遂に社長の顔はテレビのナポレオン並の表情になりました。
取材時間の半分近くを費やした社長の秘蔵。伊藤製作所の面目なるものが現れているのかと思われました。会合の席上で求められて披露したり、商談、ビジネス、海外出張にも笑いさえ誘う態度は、とかくギクシャクし勝ちな世情に余裕を与え恵まれた天性に伊藤澄夫氏の面目躍如たるものがあるようです。
社内敷地にゴルフコース(60ヤード、2600平方米)、建屋内にカラオケ・ルーム(54平方米、2300曲オートチェンジャー、マイク・スピーカーとも最高システム)があり、長野県蓼科には山荘があり、スキー、乗馬、テニス、アーチェリー、ゴルフ、茸・山菜取りなど、社員も大満足と、会社案内には書かれています。
そして、開いたカタログの後半に、社内の慰安旅行は海外まで、"楽しさ満天、夏は南の風に乗って・・・"と、グアムにおける3グループの記念写真には全社員の笑顔が揃っていました。